日大三をもっと知る
先輩こんにちは!
加登岡 大希さん
2007年卒業
新江ノ島水族館 展示飼育部 展示飼育チーム
神奈川県横浜市出身
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- 2007年
- 日本大学第三高等学校 卒業
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- 2011年
- 日本大学生物資源科学部海洋生物学科 卒業
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- 2011年
- 株式会社江ノ島マリンコーポレーション 入社
日大三中・三高卒業生の加登岡さんは、現在、新江ノ島水族館で飼育員を務めています。年頭講演会では「好きな事を続けよう ~継続は力なり~」のテーマで、目標に向かって前進する事の大切さをお話しいただきました。
好きなものは、ありますか?
皆さんにとって、好きなものはなんですか?
私の好きなものは、幼稚園からイルカとクジラ。その同時期にサメに夢中になり、現在に至ります。中学から大学までは、ずっと軟式野球をやっていました。社会人になってからは登山と写真撮影の趣味も加わり、かれこれ13年になります。
こうして好きな事を長く続けてきた私から、今日は水族館の飼育員になる夢を叶えるまでの道のりを紹介します。
遊びの場、だけじゃない
水族館に行ったことがある人は、たぶん遊びの場として利用したと思います。でも水族館にはレクリエーションだけでなく、他にも様々な社会的役割があるんです。
まずは生き物を間近に見てもらい、 解説パネルやショーを通じてより詳しく理解してもらうこと。これは教育普及に役立ちます。そして種の保存。希少生物を水族館の中で繁殖して、野生から採ってこなくても済むようにしています。生物の保護活動も行っています。例えば、オットセイがテトラポットに挟まって身動きできなくなった時などは、飼育員が保護して治療を施し、再び海に放流します。
生き物の生態を解明していくことも大切な使命です。私はクジラやサメの相模湾における出現状況を調べて、論文を書いています。飼育員は研究職でもあるんです。
日本初・世界初の挑戦
さて、世界にある500の水族館のうち131が日本にあります。水族館大国の日本では、それぞれの水族館が独自のテーマで展示を行っています。中でも私が働いている新江ノ島水族館は、他の水族館に先駆けて様々な事に挑戦しています。
今では定番になっているイルカショー。これを日本で最初に始めたのは、当水族館です。イルカの持つ能力をショーという形にアレンジして紹介することに成功し人気と知名度が一気に上がり、全国の水族館に広がっていきました。
イルカが検温や採血などの健康管理に協力してくれるように、トレーニングを取り入れたのも、当館が日本初。イワシの群れやシラスの常設展示、イルカの繁殖に5世代まで成功したのは、当館が世界初です。。
水族館の舞台裏
楽しさと学びの裏側で、私たち飼育員はどんな仕事をしていると思いますか?
最初に思い浮かぶのは「エサやり」かもしれませんね。生き物の生態や食性に合わせてエサを作り、食べさせるのも大切な仕事ですが、実際にはもっと多岐に渡ります。
生き物を海から採ってくるのも、飼育員の仕事。展示している生物の健康管理や、病気・怪我の処置。水槽の掃除。大きな水槽の掃除には潜水士のライセンスが必要です。大学や研究機関との研究調査。ショーは生き物をトレーニングするだけでなく、飼育員も話し方や立ち振る舞いを訓練します。
トレーニングで大切なのは、トレーナーが最終的な「形」を考えておくことです。どういうことか、実際に体験してみましょう。イルカ役になってくれる方はいますか?
(1人の生徒が壇上に上がり、ホイッスルと棒のタッチだけで動きを引き出す。会場から拍手がおこる)
言葉を使わなくても私がやってほしい事が伝わりました!このようなプロセスでイルカたちは学習しますが、求める「形」にならなかったら絶対にOKを出してはいけません。言葉が通じない分、「YES」か「NO」かをはっきりさせる必要があります。イルカたちは自ら考え、目標に到達することでエサがもらえることを理解します。
言葉の通じない相手にどう伝えるかということは、人とのコミュニケーションにも応用できます。何を伝えたいかしっかり考えてから言葉にすると、相手の理解や協力を得やすくなります。ぜひ活用してみてください。
生徒をイルカ役としてトレーニングを実演
好きな事を続ける力
さてここからは、私の生い立ちのお話です。幼稚園の頃、家族旅行で北海道のおたる水族館に行ったことがきっかけで、海洋生物が好きになりました。小学校の頃には水族館に通いつめて、どうしたら飼育員になれるか聞いていました。特にサメが好きだったので、日本大学にいるサメの研究を専門とする教授に師事したいと思い、日本大学付属の日大三中に入ることを決意しました。
中学高校では軟式野球に熱中していました。下手で目立つタイプでもないのに、高校ではキャプテンに選ばれました。自分の技術面もチームの結束も大苦戦。それでもなんとかチームをまとめて迎えた最後の夏の大会の直前に、まさかの骨折。欠場は無念でしたが、その時、チームメイトのサポートという新たな役割に目覚めました。大学でも全国大会を諦めきれずに野球を続け、サポートをする重要性を感じながら、チームメイトと協力した結果、見事全国出場を果たすことができました。
私が入学した大学の学科は200人中150人が水族館に就職を希望していました。その中で私は、サメが好きで水族館で働きたいと言い続けていました。すると自然と周りが募集情報を教えてくれるようになりました。最終的に水族館に内定したのは、私を含めたった5人。不撓不屈が実を結び、飼育員になることができました。
未来へのエール
狭き門をくぐり抜けて飼育員になり、最初に担当したのはイルカやアシカ。その頃からサメ好きをアピールし続けて、昨年ついに、念願だったサメの企画展を手掛けました!
30年越しの夢を叶えた私から皆さんに伝えたいのは、「好きな事は長く続けよう」「好きな事を周囲に熱く語ろう」「好きな事の情報を集めよう」「挑戦から新たな好きを見つけよう」ということです。
好きな事をしていると人生が豊かになります。
皆さんの将来の糧になるような「好き」が見つかる事を願って、私の話を終わります。
座談会
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- 聞き手
- 校長 樋山 克也
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- 聞き手
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高校教頭
佐々木 剛
軟式野球部顧問
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- 司会
- 広報部 副主任 古澤 麻亜理
講演会終了後には樋山校長と軟式野球部顧問の佐々木教頭も交え、座談会を開催しました。
学校生活を振り返って
- 古澤
- 講演では生徒が自分の夢と重ね合わせながら聴いている姿が印象的でした。座談会では学校生活の話をメインにお聞きします。まず加登岡さんは中高時代、どんな生徒でしたか?
- 樋山
- 中1で担任を受け持った時の印象は、おとなしい生徒。やさしい笑顔で仲間おもい、クラスの人気者でした。
- 佐々木
- どんなに練習が辛くても最後までやりきるし、とにかく一生懸命。その姿勢が周囲に良い影響を与えていました。当時キャプテンとしてチームをまとめられるのは、彼しかいなかった。骨折もポジティブに捉えるひたむきさと人間力を、講演で思い返しました。
- 古澤
- 加登岡さんにとって日大三中・三高はどのような学校でしたか?
- 加登岡
- 自然豊かで開放的な環境が、体力とメンタルを鍛えてくれたと思います。数学は特に授業が楽しくて、公式の根本を学べたことが理系大学への進学にすごく役立ちました。
- 古澤
- 進路目標が揺らぐことはなかったですか?
- 加登岡
- なかったですね。他大学にも海洋系の学科があることは知っていましたが、やはり日本大学が一番魅力的だったので。
- 古澤
- 校内で思い出深い場所はどこですか?
- 加登岡
- 野球部の部室ですね。練習後に仲間と遅くまで残って、野球の話をしていたことが思い出されます。
室内はめちゃくちゃ汚かったですけど…!
- 佐々木
- 今は綺麗ですよ(笑)私は部室の鍵が返却されるのを、職員室で今か今かと待っていましたが、それはすごく良い思い出になっています。
講演会の感想
- 古澤
- 先生方から改めて、講演会の感想をお聞かせください。
- 樋山
- 基本を大切にすることと、視点を変えてみることの大切さを、改めて感じることができました。生徒にも十分伝わっていたと思います。
- 佐々木
- 生徒を惹き付ける力がすごくて、授業で見習いたいと思いました。水族館の人は生物を見せるだけじゃなくて、自分たちの視野を広げてくれた。そんな思いで生徒が行動を起すきっかけになってくれたら、今日の講演は大成功だと思います。
- 古澤
- 最後に、加登岡さんの今後の夢や目標を教えてください。
- 加登岡
- 相模湾で見られるサメの種類が増えている理由が、気候変動の影響なのか、元々いたものが見つけられていなかったのかを解き明かして、相模湾の生物相を明らかにしたいです。あとは国内のサメを全種類見て触って、特徴を学んだ上で、多くの人にその魅力を知ってもらう活動ができればと思います。
- 古澤
- 加登岡さんのような卒業生を誇りに思います。これからの益々のご活躍を願っています。