日大三をもっと知る
先輩こんにちは!
森久保 祥太郎さん
1992年卒業
声優、俳優、歌手
株式会社アドナインス代表取締役
- 東京都八王子市出身
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- 1992年
- 日本大学第三高等学校 卒業
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- 1992年
- 多摩美術大学 入学
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- 1996年
- 声優デビュー
『メジャー』(茂野吾郎)、『NARUTO-ナルト- 疾風伝』(奈良シカマル)、 『ジョジョの奇妙な冒険』(音石明)他多数出演。 劇団の舞台役者、バンド活動を並行しながら
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- 2018年
- 株式会社アドナインス設立 現在に至る
今年の年頭講演会は本校を卒業し、現在おもに声優としてご活躍の森久保祥太郎さんをお招きして、高校生向けと中学生向け、それぞれのテーマでお話いただきました。「先輩こんにちは」では講演会と、その後に行われた座談会の様子をお届けします。
高校生向け講演会
「理由は後からついてくる」
目の前に現れた、声優の扉
高校生の皆さんは将来の目標を定めて、進路選択する時期に差し掛かっていますよね。やりたいことが決まっていないと悩んだりしていませんか?今日は僕がこの高校にいた30年前を思い出しながら、皆さんのお役に立てる話ができればと思っています。
僕は高校時代、勉強や部活より、子供の頃から続けてきた演劇と、地元の仲間と組んでいたバンド活動に夢中になっていました。三黌祭では現校長の樋山先生とバンドでセッションしたこともあります。そんな学校生活でしたから、進路を決める時には芝居をやりたいという漠然とした夢しかありませんでした。そこで僕は、今まで自分が頑張ったことや好きなことを振り返ってみたんです。浮かんだのは演劇とバンド。大学はこのどちらかで将来生きていくための、助走の時間にしたいと思いました。
大学では劇団を作ったり、エキストラやカラオケ映像の役者として活動していました。実は僕、声優になりたいと思ったことが今まで一度もないんです。でも、この時僕が所属していた芸能事務所とつながりのある声優事務所の紹介で、アニメ声優のオーディションを受けたことから人生が変わり始めました。
オーディションに合格して声優デビューした当初は、アフレコの現場が全く分からず、舞台の要領で体を使って芝居をしたら、ノイズが入ってNGの連続。静止したまま声だけで演技するのが難しくて、1クールで辞めようと思っていました。先輩方の指導と励ましを救いに続けているうち、なんとか放送が終了。ところがこれが大好評で、シリーズ化されて劇場版の公開も決まり、声優として活動する時間が次第に長くなっていきました。
声優界では大御所の皆さんがとても楽しそうに仕事しています。それに触発されて僕も技術の上達に力を入れるようになり、声優業がどんどん面白くなっていきました。そこから、今に至ります。
歩んだ道を振り返ると、理由が見えてくる
自分が描いていた俳優人生とは違う、声優という扉が現れたけれど、飛び込んでみたら思いもよらない新しい道が拓かれました。もし明確な目標がなかったとしても焦らないで、まずは目の前のことを 一生懸命やるといい。そうすると新しい扉が必ず現れます。僕は時々自分の歩んできた道を振り返ります。振り返ってみると、今ここにいる理由が見つかるからです。
僕はラジオの生放送番組でDJを20年務めています。それも僕にとっては新しい扉だったので、最初の頃はゲストの情報を事前収集してトークに臨んでいました。ところが毎回ディレクターにダメ出しされる。1年間自分なりに手を尽くしても状況は同じで、どうしたら良いか分からなくなり、ある日台本も読まずに本番に臨んだところ、最高に面白かったと褒められました。その時、今までを振り返ったら一瞬で気付いたんです。調べたことを話すだけでは自然な会話にならず、全然面白くないことに。
高校生の皆さんは今の生活が充実していれば、それが血となり肉となって、この先素晴らしい人生を送ることができます。いつか振り返った時、「理由は後からついてくる」ときっと感じることができます。残りの高校生活が、輝く日々でありますように!
中学生向け講演会
「中学校生活は人生の筋トレだ!」
「経験」は、後につながる基礎体力になる
「三中生のみんな、元気にしてるかい?茂野吾郎だよ!」(『メジャー』で演じたキャラクターの声で)。「今日は三中に遊びに来たっぺよ!」(『ONE PIECE』で演じたキャラクターの声で)。この声をどこかで耳にした方もいると思いますが、僕はこの声優というお仕事をしている森久保祥太郎です。今日は皆さんが三中で過ごした日々が、鍛えた筋肉のように後々残るというお話をしたいと思います。
僕の出身中学は三中ではありません。八王子の中学校に通っていて、2年生の夏休みにアメリカのカンザス州へ1カ月間ホームステイに行きました。農場体験のプログラムでしたが、僕の語彙はHelloとThank you程度。せっかく留学したのに全然喋れないのが悔しくて、帰国後に英語の勉強を猛烈に頑張りました。努力の甲斐は成績に表れて、他の教科も伸び始め、外部受験で三高に合格することができました。
英会話ができるわけでもないのに一人で渡米して、そのことがきっかけで英語が大好きになって、三高に入学できたおかげで今日 皆さんに会えた。こんな風に物事はつながっているんですね。だから皆さんが今興味があること、出会うものに一つも無駄はなくて、中学校生活は何十年も先につながる筋トレみたいなものだと思うんです。
皆さんの中に、数学って将来何の役に立つのだろうかと思っている人がいるかもしれません。でも数学を解くための脳みそを今使わなかったら、その部位は鍛えられないまま一生終わってしまう。苦手でもやってみたら好きになるかもしれないし、多少辛くても筋トレだと思ってやった方がいい。ムキムキに鍛えなくていいけれど、一通りの基礎体力は人生で必要だから。
筋トレを積むと、挑戦の勇気が出る
生徒たちの質問にもやさしく答えてくださいました。
僕は声優の養成所に通わないままデビューして、DJ未経験のままラジオ生放送番組を担当しました。やったことがなくても飛び込む勇気があったのは、多分、10代のいろいろな経験が筋トレになっていたんだと思います。
経験はトレーニングにもなるし、思い出にもなります。楽しいことばかりではなく、時には嫌なこともあるかもしれないけれど、あの経験があったから今があると、大人になってきっと思うことができます。中学校は人生のアルバムを作る時期です。最高の瞬間を、日々大切にしてくださいね。
座談会
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- 聞き手
- 校長 樋山 克也
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- 聞き手
- 教頭 佐々木 祐輔
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- 司会
- 広報部主任 福家 公次
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- 聞き手
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同級生
(本校英語科) 野間 美香
講演会終了後には、森久保さんの同級生の本校英語科野間先生も交え、樋山校長、佐々木中学教頭、福家広報部主任との座談会を開催しました。
講演会の感想
- 福家
- 今日はありがとうございました。私たち教員は生徒に対して、どんな仕事に就きたいか考えてから進路を決めるよう指導してしまいますが、大学は社会に出るための助走期間というお話が印象的でした。
- 森久保
- やりたいことが決まっていないと焦りますよね。でも、この先の人生を探すための時間と考えれば、悩んで立ち止まらずに済みます。大学受験に失敗するとその後の人生が狂ってしまうと思いがちですが、一つの扉と捉えれば前進できると思います。
- 樋山
- 歩んだ道を振り返ると、分岐点に扉があったことが分かるし、それに気付くと目の前の扉を思い切って開けることもできる、ということですね。
- 森久保
- そうですね。違うと思ったら戻って扉を閉めればいいだけだと、僕は思います。
- 野間
- 森久保さんが開けた扉の先は、思い描いた世界と違っていたのに、あえて飛び込んでみて、そこでまた違う世界が見えたというのが素敵です。
- 森久保
- 夢を持って飛び込んだ職業は良いイメージが先行するので、実際に就いてみたら幻滅することもありますよね。なってみないと分からないことは山ほどあるから。でも、そこで失敗したと思ってほしくない、そんなメッセージを今日はお伝えしました。
- 福家
- 扉は一つではなくて、たくさんあるということにも気付かせてもらいました。
- 森久保
- 人生と職業を同一視せずに、人としてどうありたいか、どんな人生を送りたいかというところからスタートして、そのために何をしたいと考えた方が、選択肢が広がると思います。だから僕はまだ、人生の通過点にいるような気がしてします。この歳でも、この先何者になればいいのだろうかという気持ちはどこかにあります。
当時の学校生活を振り返って
- 佐々木
- 樋山校長との、当時のエピソードを教えてください。
- 森久保
- 三黌祭で先生方のバンドがあったんですよ。樋山校長先生はベースで。公演の最後に僕ら学生バンドと入り乱れて、肩を組みながらセッションした記憶があります。普段あまり関わりのない先生だったのに、もみくちゃになりながら一緒に楽しんだから、当時のことは強烈に覚えています。
- 野間
- 今はコロナ禍で制限があって、かつての学校生活と全然違いますよね。
- 森久保
- 声優業界も収録が終わったら即解散で、先輩との交流ができません。現場で生の芝居を見て学ぶこともたくさんあるのに、それもできない。でも、憂いても仕方ないので、この状態から新しいものを作り上げていくしかないと思います。中高生の皆さんも不安にならず、進めば道は必ずつながるので、明るい未来を描いて学校生活を楽しんでいただければと思います。