日大三をもっと知る
先輩こんにちは!
若林 和彦さん
1982年卒業
独立行政法人 国立病院機構
災害医療センター 外科総合診療部長
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- 1963年
- 東京都町田市生まれ
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- 1979年
- 日本大学第三中学校 卒業
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- 1982年
- 日本大学第三高等学校 卒業
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- 1988年
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日本大学医学部 卒業
医師国家試験 合格
(医籍登録・保険医登録)
日本大学医学部第三外科助手
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- 1994年
- (財)癌研究会付属病院外科
(現がん研有明病院)フェロー
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- 1995年
- 日本大学医学部助手
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- 2005年
- 国立病院機構災害医療センター
消化器・乳腺外科医長
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- 2011年
- 東京医療保健大学大学院臨床教授兼任
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- 2018年
- 国立病院機構災害医療センター
外科総合診療部長併任
独立行政法人国立病院機構災害医療センターで外科総合診療部長を務める、若林和彦さんを年頭講演会にお迎えしました。『日本医療の現状と私が外科医になったわけ』をテーマに、不足する医師の現状、若林さんが医師に興味を持ったきっかけや災害医療に従事するまでの経緯について講演していただきました。
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- 聞き手
- 理事長 櫻井 勇
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- 聞き手
- 副校長 松本 秀人
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- 司会
- 広報部 主任 佐々木 祐輔
本日は、貴重なお話をいただきありがとうございました。講演の最後におっしゃっていた、多様性の中で学べる本校での環境を大切にしてほしいという在校生へのメッセージが印象深かったです。
年頭講演会当日の様子
影響を受けた小説や事件を交え講演
- 若林
- 中学生や高校生にも医療用語が伝わるように、なるべく簡単な言葉を用いてスライドを使いながらお話しさせてもらいました。現在、国の政策で医師を増やすための取り組みを行っていますが、がん治療や災害医療など、リスクの高い専門領域に従事する医師を養成するのが難しく、医師の偏在があるのが現実です。一人でも多く、学生時代から医療問題を考えてほしい、また、日本の将来のために、自分がどう役に立つことができるかを考えてほしい、というのが本日の講演で一番伝えたかったことです。
- 松本
- 非常に大切なメッセージをいただいた講演でした。また、講演の中でおっしゃっていた、塾に一度も通うことなく医学部を目指したという話にはとても驚きました。
- 若林
- 塾はすでに普通になっていましたが、本当に恵まれていたと思います。 1976年、本校が赤坂から町田に移ったその年に、私は日大三中に入学しました。本校を選んだ理由は、数多くの学部を有する日本大学の特別付属校であったことです。私の父は教師だったので、学生時代に教師か医師になりたいと考えていた私にとっては、どちらの方向にも行けるという魅力がありました。授業後に分からないところを先生に質問し、放課後は図書室で勉強をして、クラブ活動が終わったらまた先生に質問をしていました。当時対応してくださったのは20代の先生が多かったのですが、質問すると必ず熱心に付き合ってくださいました。学校教育のみで現在の私があるわけですから、当時の先生方には本当に感謝しています。そして、その伝統が今の先生方にも受け継がれていると聞いて、とても嬉しく思っています。
様々な医療問題について考えた中学・高校時代
お父様が学校の先生とおっしゃいましたが、医師という職業に興味を持ったのには、どのようなきっかけがあったのでしょうか?
- 若林
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私の祖父は、明治から昭和初期まで町田地区で開業医をしていました。小学校4年生の時に家の倉庫で古い象牙の聴診器を見つけ、自分の心音を聞いて衝撃を受けた私は、「この音はどこから出ているんだろう?」と心臓に興味を持ちました。これが最初に興味を持ったきっかけです。
医師を志したのは中学時代です。中学1年生の時には、課題図書で遠藤周作の『海と毒薬』を読みました。戦争末期に九州の大学付属病院で米軍捕虜を生きたまま解剖する実話をモチーフに書かれた小説ですが、倫理性の高い職業と思われていた医師がどうしてこんなことをしたのだろうと疑問を持ちました。さらに、当時日本初の心臓移植で臓器提供者の死の判定に疑問がもたれた「和田移植事件」、薬害で多くの被害者が出た「サリドマイド事件」訴訟の経過が報道されて、移植や医療問題に興味を持ちました。
中学時代の同級生には、難病で苦しむ友人がおり、また上級生にはサリドマイド薬害で手指にハンデを負った方がおりました。自分が背負った障害をハンデと思わず一生懸命勉強に打ち込んでいた姿に強く触発されました。これらの中学時代の見聞から影響を受けた私は、自分の努力は努力とは言えない、彼らに負けないように勉学や運動に向き合わなければならないと考え行動しました。そして自然に医学を志すことになっていたのです。
日本食道学会発表(2010年)元主任教授と
- 櫻井
- 本校在学中に医学への興味を持ち、医師を志したのですね。ずいぶん多くの医療問題に触れる機会がありましたね。
- 若林
- 授業の中で先生方から様々な教えを受け、本やメディアにも触れ、本当に幅広く様々な学友と出会いました。その中で、医師としての素養、興味を育んできたのだと思います。
- 松本
- 若林先生はずっとがん治療に従事されていますが、学生時代に興味を持った「心臓」「移植医療」から「がん治療」に転換したのは何かきっかけがあったのでしょうか?
- 若林
- 日本大学医学部在学中に、櫻井(元日本大学医学部長・病理学教授)先生にも直接教えていただき、大変お世話になりました(笑)。色々な文献や新聞を読み、先生方の話を聞く中で、日本では移植医療は進まないだろうと感じました。これから高齢化社会が進むにつれ、がん患者が増えることが予測できる。がん治療をできる医者が世の中で一番需要が多いと思い、移植医療からがん医療にシフトチェンジしました。
- 松本
- 大学を卒業後、がん医療に従事された若林先生ですが、現在は災害医療に関する仕事をなさっていますね。
熱心に語っていただきました
- 若林
- 私が勤める国立病院機構災害医療センターでは、「災害」に対して常に準備しておく活動を行っています。厚生労働省の委託を受け、災害医療従事者に向けた研修や訓練を東日本の災害拠点病院として展開しております。私は地域でのリスクを負う医療従事者の育成を目的に、医療者を増やすための活動を行っています。現在、全国的な医師不足に加え、急性期医療や救命医療を担う医師は特に不足しています。さらに、2025年頃までには団塊の世代が75歳以上の後期高齢者となり、高齢者が急増します。高齢者が増えるということはがん患者も増えることが予測されます。専門性はやや低くとも、内科、外科、産婦人科、小児科、救急災害医療など全般を診ることができる総合診療医の育成も併せて行っております。
大切なのは、思いやる優しさと共感する力
これからの医療を担う上で、医師にとって大切なことは何だとお感じですか?
高校生医療体験セミナーでの指導
- 若林
- 医師に必要なのは、他者への優しさと、共感する力です。医師は患者さんや、患者さんの家族と直接話をしながら治療の提示を行います。悩んでいる家族の気持ちや病んでいる患者さんの心と付き合うことになります。相手を思いやる優しさと、相手の立場を想像し共感する力は、医師になってから培われるわけではありません。感受性が豊かな中学・高校時代に、色々な人と話をした、遊んだ、ボランティアをした、近所の人やお年寄りの人と接した。スポーツや芸術を見て感動したなど、医療者になる要素は子どもの頃からの積み重ねで培われるものなのです。お金や時間では測れない価値、生命倫理を、本校6年間での生活や友人、先生方との交わり、多くの書籍の中で学びました。今では陰で支えてくださった先生方の苦労も分かるし、そのぶん今度は私が若い人たちに還元したいと思いながら日々仕事に邁進しています。
- 櫻井
- 学校での様々な経験というのは、やはり生徒のこれからの考え方や生き方のもとになりますね。私たち教員も、もう一度そのことを心に留めておかなければなりませんね。
6年間の体験が将来の自分をつくる
最後に、在校生に向けてメッセージをお願いします。
- 若林
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今日私が皆さんにお話ししたことをきっかけに、「医師」という職業や日本の将来に向けた医療に目を向けてみてください。災害医療センターでは、毎年8月に高校生を対象とした、「高校生医療体験セミナー」を実施しています。モニターを見ながらの手術体験や心臓マッサージ体験、内視鏡体験など、医者の疑似体験ができます。少しでも興味のある方は、ぜひ参加してみてください。
日本大学の特別付属校である三中・三高は、それぞれ違った価値観や考えを持った多様な人たちが多数集っています。私のかつての同級生たちも、本当に様々な場面や場所で、第一線で活躍しています。皆さんの学生時代の積極性と頑張り次第で、この6年間の体験が、将来の自分に大きく影響を与え役立てることができるのです。自信をもって勉強や体験に勤しんでください。最後に講演会では一人称をあえて「僕は…」と発言して進行しました。少しでも40年程前の学生目線に立ち、三中生、三高生の琴線に触れるメッセージを伝えたかったからです。
本日は、お忙しい中どうもありがとうございました。